ゆるい言語活動のすゝめ

うえみずゆうきとけんぞーによる対談企画です。テキストときどきラジオ。

『価値観の交換にどのような意義があるのか!?』第57回ゆるい言語活動のすゝめ

今新企画として一人語り形式の記事も更新していくことになりました!これまでの対談形式とは違って、「聞いてみたいテーマを相手に振り、振られた人がそれについて一人語りする」という企画。対談の回と併せて、どうぞお楽しみください。今週は、うえみずゆうきがお送りします。

[スポンサーリンク]

テーマ「価値観の交換にどのような意義があるのか!?」

けんぞー氏がこのテーマを設定した理由

「討論カフェ」の運営目的である『価値観の共有・交換』。これにどのような意義を見出し討論カフェを行なっているのか。うえみず流の意義をお話しして欲しいなと思います! ※「討論カフェ」は、うえみずが務めている会社の主催イベントです。

…けんぞー氏から、上記のようなメッセージが来た。 会社の宣伝になる、そんな優しさなのか、それとも書きづらいことを無茶振りするドSさなのか。真意は分からないが、いずれにしても大変書きづらい(笑) 初回から何というキラーパスを出すのだろうか。

前提として

「討論カフェ」、討論といってもバリバリの激論というのではなくて、自然体で楽しく価値観レベルの対話ができる、喋りのエンタメという感じ。この辺は参加してもらわないことには分かりづらい、大変マニアックなイベントである(笑) そんな討論カフェの中心テーマである「価値観の交換」。「価値観の交換」の意義を問われたというわけ。

そもそも、このイベントはぼくが立ち上げたわけではなく、ぼくが関わったタイミングは立ち上げから約10年が経ってからである。 (この辺りのことは創業者の二人が喋っている記事が近々アップされるみたいなので、公開され次第リンクを貼ることとする。)

前置きが長くなってしまったが、あくまでここでは一個人の意見として書きたい。くれぐれも会社とこれは一切関係がないことを明記しておきたい、くれぐれも。…くれぐれもだ!(大人は色々面倒くさいのだ。)

自分の価値観を忘れて生きている

ぼくが生きてきた小さな世界を振り返ってみると、多くの人は「人と違う」ことにアレルギー反応を示す。 ぼくは、いわゆる社会のレールやセオリーみたいなものから外れて生きてきたので、「人と違う」ことに対する偏見みたいなものに晒される機会も多かったように思う。 学校卒業後定職に就かなかったこと、定職についてないのに結婚したこと、学年トップにありながら専門学校を中退したこと。 とにかく、そんな少数派の行動を起こす度に、周囲の人からはことごとく反対されてきた。 色んな考え、色んな生き方があっていいのだとぼくは思っているし、むしろ、それこそが自然なことだと思っている。だけど、それは僕の生きてきた世界ではどうやら不自然なことらしい。

「あなたは何が好きなの?」「それについて、あなたはどういう意見なの?」そうした問いに、あやふやにしか答えられない人が本当に多い。ぼくは、これに危機感を覚えている。だけど、多くの人にとってそんなことは危機ではないらしい。

「人と違う」ことをしたり、言ったりすることでバッシングされることを恐れているうちに、自分が何が好きで何が嫌いで、何を大切にしていてて、何は譲れるのか、そうしたことが分からなくなっているのではないかと思う。結果、価値観の解像度が粗いというか、自分のことを知らないというか。

価値観の「交換」までできる場は少ない

たとえば、Twitterなんかのおかげで発信することは容易になったが、価値観の一方通行になりやすい。価値観を安全に交換できる場がどれだけあるというのだろうか。 そうした希少性の意味で、討論カフェで「価値観の交換」が行えることそのものの価値は高いと思っている。課題も多くあるが、改善を重ねながら続けていきたいと思う。

価値観の解像度を上げる

最後になったが、「価値観の交換にどのような意義があるのか?」というけんぞー氏の問いに答えたい。価値観の交換の意義は、価値観の解像度が上がることにあるとぼくは思う。

異なる価値観に触れることで価値観により幅が出る。問われることで今まで考えていたことがより深まる。

世界は広いことを知る。こんなにも身近な人々がこんなにも違うことを知る。違って当然だと知る。受け入れることができる。 「あれいいよね」と共有できたいたつもりの価値観が、深掘りすると違う、違う角度から見ると違うなんてことはザラにある。というか、必ずある。まったく同じなんてことはありえない。それぞれの価値観の解像度が上がると、結果として、世界平和につながる。(極論)

[スポンサーリンク]

【テーマ出題者の感想】

どーも、けんぞーです。最後に出題者として本文を読んだ感想を。その前に、うえみず氏には謝罪をしておかなければならないだろう。軽い気持ちで投げたこのテーマだったが、うえみず氏には非常に書きづらいものだったらしい。申し訳ありませんm( )m うえみず氏が勤める会社の宣伝に協力したつもりもなければ、ドS心から出したキラーパスではなかったのだが(笑)

さて、この企画をうえみず氏に提案しようと思いたったはいいが、どんなテーマを投げるのか考えて、ぱっと頭に浮かんだのはこれだ。僕が考える対談のテーマはニュースを見て思いつくのだが、今回はテーマ作りも趣向を変えたいと思ったのでちょうどいいと思った。
本文にも出てきた『討論カフェ』というイベント。うえみず氏が勤める会社の創業者が10年前から行っているイベントだ。僕もうえみず氏が誘ってくれたのをきっかけに何度かプレイヤーとして参加していた。その中でこのイベントの運営理念である『価値観の交換』についてプレイヤー同士で語ったことはない。途中入社のうえみず氏ならプレイヤーとしての側面からも意見が出るのではないかと思った。今回の文章では運営側としてだけではなく、プレイヤーとしての意見が出たものだろうと信じている。

テーマを設定した以上、僕もこのテーマに回答するのが筋だろう。そこで討論カフェにプレイヤーとして参加した視点から意義を考えるとしよう。

この『討論カフェ』というイベントは主催者側が提示したテーマでプレイヤーが自由に思ったことを話す。テーマは決して難しくなく、自分の価値観に基いて話せるようなものが多いため、論理的じゃなくても「わたしはこのように思う」という主観で十分なのだ。その主観こそ価値観であり、それをお互い披露することが価値観の交換であると僕はみなしている(運営さん、合ってますかね?)。

では、価値観の交換を行うことにどの様な意義を僕が見出したか。多分、僕の出す解はうえみず氏含め主催者側に受け入れられないかもしれない。『価値観の交換そのもの』に意義はないと思っている。いや、ないは言い過ぎか。誰かの意見で自分の世界が拓けるかもしれないのだから。ただ僕はこのイベントに参加して誰かの主観で考えが変わったということがなかった。なぜなら主観を聞いてもしょうがないじゃんと思ってしまうから。主観とはその人の人生そのもの。人格や生育環境、経験等に左右されるものだし大体しっくりこない意見が多い(バリバリ僕の主観です)。僕が話す時は○○だと思う。なぜならこの様なデータがあるからだみたいな話し方をするから浮いてた気がする。

しかし『価値観の交換をすることその行為』に意義はあると思う。なぜなら大体の人は誰かとコミュニケーションを図るとオキシトシンという物質が分泌されて快楽になるから。人間は社会的動物だ。誰かに話しを聞いてもらいたい、自分の考えを聞いて欲しいと思うことはある。Twitterで呟いたってなかなかリアクションは得られない。せいぜいいいねが味気なくつくだけだ。しかしリアルなら目の間で誰かが自分の話でリアクションをしてくれる。これは結構な快楽だ。価値観の交換をすることその行為、そしてその場の提供をすること。これこそが人間社会の中では意義のあることだと思う。これを以ってこのテーマの解とさせて頂きたい。


パーソナリティ

うえみずゆうき

音楽家。福岡県田川郡出身、福岡市在住。バンドhomesickのボーカルギター、ローカル音楽メディアNarrative代表など。

Twitter @y_uemizu

けんぞー

ニート時々素人物書き。佐賀県在住。けんぞーのショートショートで作品公開中。

SNSの類はやっていません。御用の方はこちらのメールアドレスまで(携帯のキャリアのメールから送られると、返信するとき届かないことがありますので、設定を変更してお送り下さい):koga.ken.20xx@gmail.com